2009年01月24日

<凌山越え>の玄奘様

若い人には分からないと思いますが・・・

昔、ファミコンで「元祖スーパーモンキー」って 西遊記を題材にした それはそれは ひどい出来のゲームがありました。

Super01_2 Super02

スタートしてしばらく 何をしていいのか?、何処に行けばいいのか?わからない徹底した不親切設定のゲームでして、 当時、多くの子供たちが手も足も出ず 全く攻略することができない有様でした。

実は私もそんな悲しい過去を持つ一人だったんですが、先日、偶然にネット上でこのゲームのクリア動画を見ました。

そしたらね・・・ かなり驚いたわけです。

このゲームは西遊記をモチーフにしたゲームなんで 玄奘様が天竺にお経を取りに行くってお話だったはずが 高昌と屈支の間のあたりでエンディングを向かえて 旅が終わってるんですよ。今じゃ中国国内なわけです。
製作スタッフが単に飽きてしまったのか 予算の関係か? 
どちらか 今となっては知る由もないわけですが このゲームに象徴されるように やはり
玄奘様の旅=灼熱の砂漠を行く旅
ってのが一つのステレオタイプなのは否めません。

ですが・・・実際は暑さだけでなく 寒くもあった旅だったわけです・・・・それも死ぬほどの寒さに・・

皆様こんばんわ、あたしの住んでる地方もめっきり寒くなり、
お勤めが途中から鼻声に変わることしきりの黒骨です。

そして このタイミングであけましておめでとうございます
ハッピーニューイヤー!!ニャッハhッハー!

いやあ~黒骨は年末年始<休み無し>なおかげで今頃 Mー1見ましたよ!
ノンスタイルが優勝でしたね。
ナイツおしかったですねえ・・応援してたのに・・

そんな出し忘れた年賀状のような挨拶はさておき・・・

皆さんグーグル・マップって知ってます?(←一応ナイツ風に読んで下さい)

簡単に言えばパソコンで見れる、よく出来た世界地図のことなんですけど・・、この衛星写真で出来た地図を見ていると つくづく世界は広くて 大きいなあと実感しますねえ。黒骨は 最近こいつに首ったけなわけですよ。なんてたって、あたしたち人間なんてホントちっぽけなものだと嫌というほど実感させてくれます。

なんで こんなことを言ってるかと申しますと・・・

このブログで玄奘様の旅を記事にしているんですが 私が偉そうに分かったようなことをかいていても 所詮 書籍で得た情報や知識をうけうりで書いてるに過ぎないわけですよ。

特に中国の地図とかを見てると 我ながらその距離感ってのを 私自身 見誤り、なんか間違って記事にしてるんじゃないかなあ・・・と反省しております。
特にあたしが 「次は西に向かって二日ほどかけて・・」とか 簡単に書いてるせいで 無意識のうちに距離感を掴み損ね <それって結構近所なんだろうね?>と誤解される方も多いのではないでしょうか?

ちょいとこれ↓をみていただけますか?

Ryouzan01

なんか見た感じ 琵琶湖とその周辺くらいの距離感に思えてきませんか?
今回の玄奘伝はクチャから バダル峠をこえてイッシク・クルまでの話なんですが、イラストだと上の画像のようになります。

これではいまいち 一体どのくらいの距離なのか?
日本で言ったら 何県から何県くらいなのか?
地形はどんな感じなのか? 標高はどうなのか?
がさっぱりわかりませんよね。

そこで!!今度は こちら↓をご覧ください。

大きな地図で見る

「A」のしるしがしてあるところがクチャです。
前回、玄奘様に肉料理だしたり、「独歩」という通り名をもつ老僧と玄奘様が対決した国ですよ。

そこから西(地図で言えば左)のほうに 白い山が見えますでしょうか?
そのまだ左側の地図を 画像の左上にある カーソル(←)を使って 動かしてみてください。
なんか湖出てくるでしょ?それが さっきイラストでお見せした湖イシッククルなわけです。

はじめあたしは 本に載ってるイラスト地図しか見ておらず、そのうえ本家「玄奘伝」には 短い描写しかないもんですから サクサク記事にしてしまおうかと思ったんですけど 正直な話 グーグルマップでこの写真をみつけ 拡大したり 縮小したりして 今回の道順を辿ってみたときは 思わず

「むちゃくちゃ遠くねえ!? 山までの道のりすら半端なく遠いじゃねえか!」と驚き 続けて

なんで玄奘様は わざわざ こんな雪の積もった もの凄く高い山を通ってんだ?
このルートはありえねえだろ!!!

とひとりで大騒ぎしたものです。

少しおさらいしてみましょう・・・

伊吾国に滞在していた折り、玄奘様は 高昌国王の使者の
「うちの国王が呼んでますので、ぜひ来て下さい!」
という呼びかけに対し、これを拒んだのを覚えてらっしゃいますでしょうか?
あたしも「せっかく招待してんだから ルートなんて少々変わってもいいじゃねえか!」と何の考えも無く思ったものです。

玄奘様は はじめ 伊吾国から北上し天山山脈づたいに西に進む予定でした。
素人目で見れば インドに向かうのに 北に行くのは一見遠回りなような気もします。

実はこの北回りのルートを予定していた最大の理由は天山南路の先にある、この白い山<凌山>越えを避けるためだったといわれています。つまり この付近は 近くを通るのも 雪が深く寒くて 大変だということを玄奘様はご存知だったわけです。

Ryouzann02_4

さらに 仮に天山南路を通るルートを選択したとしても 最後の手段として アクスから南下して今のカシュガールまでくれば 当時から通行量の多い峠によって パミールを越えるという抜け道といいますか 裏技を使うことも出来ました。
しかし、成り行きで高昌国王から西突厥のヤブクハーン宛ての親書をあづかってしまった以上その道はもう使えないのです。
玄奘様としても 今後の旅の庇護を請うために どうしても ヤブクハーンが駐屯している 湖の西の端にあるスイアブ(今のトクマク)に行かねばならなくなってしまったのです。

ということで・・・・

玄奘様は 高昌国に立ち寄り、高昌国を出発したその時から この極寒の凌山を越えるルートを取らざるを得なくなってしまったわけだったんです・・・・。

長い前フリと・・・長い放置期間でしたが・・・・・

旅を再開しましょう!!

クチャにとどまること六十日 玄奘様は夏を待って 出国なさいます。
国王は人夫やラクダを支給し、町の人々が見送ってくれました。

それから西に向かうこと二日。

「何事も無く旅ができますように・・」とみなさん願っていたでしょうけど それをあざ笑うかのように 一行は たった二日目で さっそく突厥の盗賊団と鉢合わせてしまいます。
しかもその数二千騎!!

二千人の盗賊団って <人大杉> 連ってやつですよ!
こんな大人数では因幡の物置でも<乗っても大丈夫!>とはいきません!
びっくりしますねえ!! さすが大陸!!やはり 日本とはスケールが違います。盗賊と言えば、キャッツアイやルパンファミリー 多くてもオーシャン図イレブン程度の盗賊団を思い起こすあたしですが 全く規模が違いすぎます!
しつこいですが、二千人ですよ!しかもみんな盗賊だなんて ここまでくると<類は友を呼ぶ>なんて諺では説明になってない人数です。もうね 一つの村ですよ! きっと 休日は近所のオアシス都市襲ったあとで 福利厚生をかねて<ドキッ!泥棒だらけの水泳大会>とかやってそうです。
 
全く!(怒)少子化で生徒が定員割れを起こしたり、お嫁さんやお婿さん不足に悩み、地元青年団のメンバーが高年齢化しつつある、地方都市出身の人間といたしましては、時代が時代ならば 出来るだけ面接でまじめそうな人を選抜し、暖かく迎え入れたいものです。

そんな空想はさておき・

そんな盗賊団と鉢合わせたこの場面で玄奘さまは 玄奘様らしからぬ 不可解な行動をされます。

お供:「法師!!盗賊の一団二千騎が目前に迫っております!」

そんな報告を受け、切羽詰った状況で みんなにこう指示されるのです。

玄奘:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

と沈黙されます。

お供「聞こえてますか!?玄奘さま!!盗賊が目前に二千人いるんですって!!どうすんですか?」

重ねて玄奘さまの指示をあおぐ 人々を前に玄奘さまは

玄奘:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

と更に無表情で沈黙され続けます。

実は なんと玄奘さまは黙して語らず。終始、何の指示もだされなっかったんです。

お供:「このクソ坊主、盗賊にビビッて頭真っ白になったんだよ!きっと!こうなったら 俺があいつらと ナシつけてやるよ!!」

玄奘様「勝手なことは してくれるな・・・」

お供:「(げっ!!聞こえてたの?)しかし・・・」

しばらく様子を伺っていると なにやら盗賊団に異変が!!
彼らは玄奘さまに会う前に 襲った誰かの金品の取り分をめぐって争いをはじめたのです。

そして・・結局 争いの末、その場を去って行ったのです。安堵する玄奘さま一行。

お供「法師!賊は仲間割れした模様です。いなくなってしまいました。危なかったですねえ、よかった!よかった!」

玄奘「そうか・・・これで旅が出来る・・」

そうつぶやいた玄奘さまは何事も無かったように旅を進めました。お供の人たちのうち何人かの人は いまいちこの落ち着きが腑に落ちなかったことでしょう。

それから600里進み、ちいさな砂磧をすぎて バルカ国(いまのアクス)に到着し、ここで一泊なさいました。

一泊した後、バルカ国を出発なさった一行は西北に行くこと300里、砂蹟地を過ぎ ついに・・・パミールの北隅、凌山に到着しました。

予想していたとはいえ、そこは 氷河が崩れて道のそばに横たわるものは、あるいは高さ三十メートルあまり、あるいは広さ十メートル四方ほどもあります。
そのため山道は凹凸が甚だしく、この峠を越えるのは一苦労です。

しかも時には 風雪が吹きすさび、履物や皮衣を重ねても寒さにおののいてしまいます。
時間がきて眠ったり、食事をしようとしても、乾いたところもありません。
しかたなく釜をかけて飯を炊き、氷を寝床にして寝るしかありませんでした。
下手を打てば即効全滅しかねない程の脅威です。

一行は七日の山旅の後、今回の旅がはじまって最大のピンチを脱し、ようやく山道に出ることが出来ました。

この凌山越えで多くの牛馬が倒れ死んでいきました。

そして・・・玄奘伝には こう記されています。

「餓 凍者十有三四」

この部分は現代でも解釈が分かれるところです。すなわち・・

<一行のうち凍病死したものが10人のうち3.4人もあった>という解釈。もう一つは、

<一行のうち凍病死したものが13、14人もあった>という解釈です。

学の無い私にはどっちが正しい解釈だかわかりませんが どちらにせよ 旅がはじまって以来 最大の犠牲、多くの人命を一気に失ってしまったわけです。

大きな代償を払い、一行は 山路をこえ 湖にたどり着きます。
極寒の凌山の近くにありながら 凍ることの無いその湖を人々は・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・<あたみ>と呼んでいました。・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・

うそですよ(笑)・・・・・・初笑いということで多めにみてくらさい

・・・・・・・・・・・・

・・・・・

・・

・・・人々は<熱海>(ねっかい)と呼んでました。今のイッシク・クルのことです。
*実際この湖は暖かいというわけでは無いようです。

多くの犠牲を払いついに 最大の難所、凌山を越えイッシククルの東岸にたどり着いた玄奘様一行。彼らは西突厥のヤブクハーンの駐留するスイアブを目指します。

大国<唐>と対等に渡り合う 突厥の覇王ヤブクハーンとは いかなる人物なのでしょうか?

凌山の惨劇を引きずるまもなく 旅はまだまだ続くのです。

・・・・・・続く・・・・・・・

以前の記事はこちら→(玄奘伝)*←順番が逆になっておりますので・・・ ご了承ください。

ps:コメント下さった方遅くなりました。「玄奘伝」お待たせしました。

posted by 泣いた赤骨 at 01:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 玄奘伝 | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

屈支国の玄奘さま

「ザクとは違うのだよ!ザクとは!!」

byランバラル

「ガンダム」のアムロにとってのランバラル、
「北斗の拳」ケンシロウにとっての シュウやラオウ、
「巨人の星」星飛馬にとっての星一徹・・・・
「ラブ☆コン」における 大谷君から見た マイティー先生・・

若い主人公にとって 一見、夢や志の邪魔に映るこれらの登場人物は 年長者として 彼らの身を案じ 後で考えると 主人公の成長に無くてはならない存在だったことに気付かされることが少なくないわけです・・・ 

お久しぶりでございます。若者の身を案じる立場にあって 若者に身を案じられることがしきりの黒骨です。

そんな加齢匂が気になる挨拶はさておき・・・

今回は久々の「玄奘伝」でございます。
お暇な方は、おさらいしてくださいまし。
*これまでの玄奘伝はこちら→(123456

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・

いざ!憧れの地へ出発

前回、空気の悪いアグニ国を追い立てられるように 一泊のみで出発された玄奘様でしたが、もともとそれ程長居する気はなかったのではないかと黒骨は思うんですよ。
と言いますのは アグニ国のお隣の国は 東アジアの仏教徒の憧れの地、屈支(クチャ)国だったからなんです。

「なんで屈支国が憧れの地か?」と申しますと、
この国は かの名高き三蔵法師、姚秦三蔵法師 鳩摩羅什さまの故郷なんですよ!
ご存知な方も多いでしょう。
極東地域の佛教が大方 大乗佛教になったのは、この方の訳経作業の功績であるといっても過言ではありません。
ひょんなことから ルートを高昌国で変更した玄奘様でしたが 
その時から この屈支国に入国することを楽しみにされたのではないかと思います。

やはり・・
石原裕次郎ファンが北海道に行けば かにやラーメンよりも まづ 裕次郎記念館なわけでございます。

ということで・・

「ガラになくスキップ踏んだ」かどうかまでは「湘南之風」にもわかりませんが 
アグニ国から西へ900里の道のりをもろともせず、屈支国に入国されたわけです。

王都に近づくと王様が家来や僧侶たちとともに出迎えてくれています。
それだけではありません。
城の東門のそとにテントを張り、行像(大きな台車の上に仏様や菩薩様を飾りたてたもの。日本で言うところの山車のようなものだそうです。)も設置されてます。

玄奘さまが王様や待ち構えた人々のもとに着くと お坊さんたちが慰労の言葉を述べ 挨拶してくれました。
なんだか もの凄い歓迎ムードです。

そして、到着した一行は促されるまま お寺に向かいました。
何故だかわかりませんが 迎えに出てくれた大勢の人々もお寺に付いてきます。
お寺にたどり着くと一人の僧が 美しい花とグレープジュースを供養してくれました。
そのお寺での礼拝が終わると 今度は別の寺に一同は移動します。
そしてその寺で 花とグレープジュースの供養を受けます。
そして、また別の寺に移動。そこでまた花とグレープジュースの供養を受けて・・・

こんな感じで 町のあちこちにあるお寺にいちいち移動し、供養してもらったため、
玄奘様は 王都に到着してから日が沈むまで 休むまもなくお寺をまわり続けられたそうです。
黒骨なら間違いなく
「こんなことは言いたくないんですけど・・・長旅で疲れてますので・・」
とムカついた顔して 言い出してるでしょうが そこは玄奘様です!
この出迎えを大変喜ばれたそうです。

こうして 全ての寺を廻り終わったところで 
玄奘様一行について廻っていた人たちもやっと解散しました。
とりあえず、この日は 高昌国出身のお坊さんに招かれて 彼らのお寺に泊めてもらうことになりました。

憧れの地に到着し 寝床に入られた玄奘様は
「今日は皆さんに歓迎されて嬉しかったなあ・・・。」
と喜ばれたに違いありません。そして
「今までのパターンでいくと そんな良いことばかり続きはしないだろうな・・・」
と今までの経験則に導かれ、気合を入れ直していたことでしょう。

いやな予感・・・

翌朝、王様に招かれ、一緒に食事をすることになりました。
ですがここで 困ったことが起きてしまいました。
肉食できない玄奘様に肉料理が出てきたんです。

手を付けない玄奘さまを見て、微妙な空気が食卓を包みます。
王様はもてなそうとしただけで、別に意地悪をしたわけではありません。
玄奘様がお坊さんだと言うことは 勿論知っていたわけですが、
肉料理を食べることが出来ないことを知らなかったわけです。

何故こんなことになってしまったかと言うと・・

大乗佛教と上座部の佛教において、習慣の違いに「三種浄肉」ってのがあります。
「三種の浄肉」とは 「見・聞・疑」の三種のけがれのない肉を意味します。

つまり
・自分のために殺すのを見ていないお肉。
・自分のために殺したのだということを聞いてないお肉。
・自分のために殺したのだという疑いのないお肉。

上座部の佛教ではこれらのお肉を頂くことは許されているのですが、
大乗佛教では許されていないんです。

「三浄の肉が食卓にのぼるということは・・・やはりそうであったか・・・」

入国以来、なんとなくは違和感を感じていたであろう玄奘様でしたが ここで確信するわけです。
この国は 大乗佛教を中国に広めてくださった三蔵法師、鳩摩羅什さまの故郷であるのに 
今は上座部の佛教が多くを占める国に変わっているという現実を・・・

「昨日、高昌国の僧侶の方々が私をお寺に泊めてくださったのも、配慮あってのことだったのかもしれないな・・」

「大乗の教えの栄える素晴らしい国」を思い描いていた玄奘さまは、
この時、目の前に並ぶ料理をどんな気持ちで眺めていらっしゃたのでしょうか。

独歩vs玄奘!?

がっかりされたであろう玄奘様でしたが、それから、しばらくして、
この国に人々から「独歩」と呼ばれ尊敬されている 聡明な偉いお坊さんがいることを聞きます。
なんでも この方は二十年以上インドに遊学され、多くの経典に精通し、中でも「声明」に精通しているとのことでした。

玄奘さまは早速、この高僧、モークシャ・グプタ様のところに会いに行ってみました。
グプタ様は訪ねてきた玄奘様に開口一番

「お若いの、この国には<雑心><婆沙><毘婆沙>などの経典がいっさいそろっている。これを学べば十分悟りを得ることができる。
悪いことは言わん、天竺に行くのは止めなさい。」

若さも手伝ってでしょうか?玄奘様はこの言葉に思わず、こう切り替えしてしまいます。

玄奘様「(経典がそろっているとおっしゃるのなら)この国に「瑜伽論」はありますか?」
*瑜伽論は当時最新の大乗経論です。

グプタ様「っく・・。真の仏弟子たろうとするものは、その経は学ばない。」

玄奘様「<婆沙>・<倶舎>は中国に既にあるんです!
これらは 理が浅く、究極の説でないのが残念です。
そこで私は天竺へ行き<大乗瑜伽論>を学びたいのです!」

グプタ様「(上座部の経典を上座部仏教徒である私を前にしてバカにするというのか!?)
お若いの 今のは聞き捨てならねえな!
<婆沙>の経典が浅いなどと何故言い切れる!本当にキチンと理解してるのか!?」

玄奘様「では <婆沙>について 一つ議論してさしあげましょうか?」
*グプタ様は上座部の仏教徒ですが、専門は「声明」です。

とここで 玄奘様は<倶舎>のはじめの文を引いて訊ねてみました。
グプタさまははじめから間違ってしまうので、議論になりません。

やがて、玄奘さまが他の一文について訊ねてましたが これも分からず、グプタ様はついに
「そんな句は<論>には無い」と言い出します。

ところが、たまたま この場にいた 屈支王の叔父にあたる 智月という 経典に詳しい人がいて

「いや!その句は<論>にありますよ」
といい、読み上げてしました。

グプタ様は 恥じ入って
「年老いて忘れてしまった」といいました。

それから玄奘様が他の部分を訊ねても グプタ様は 「そんなのは無い」とか「忘れた」と言い続け、まともな議論にはならなかったそうです。

屈支国の先は ペダル峠、季節がら 雪のため通ることが出来なかった玄奘さまは六十日間、屈支国で足止めを喰らいました。
その間、時々、佛教の話をお寺でされたようですが、グプタ様は玄奘様の顔をみると席を立ったり、避けてしまいました。
そして、ひそかに他の人にこう言われたそうです。

「あの支那僧は俊敏で応対しがたい大した奴だ。天竺にもあれ程の若者はいないだろう・・」

この言葉を人伝えにお聞きになった玄奘様は グプタ様の「単なる負け惜しみ」くらいにしか思っていなかったことでしょう。
しかし、それは仕方のないことかもしれません。
<一角の年長者>ってのは 一見若者を否定したり、衝突することがあったとしても それでもその若者の身と将来を心配するものです。
そこまでの グプタ様の想いを 感じ取るには 玄奘様といえど、まだ若く そして頑なだったのかもしれません。

この後、玄奘様はこの言葉のもう一つの意味を思い知ることになります。

続く・・・・

posted by 泣いた赤骨 at 12:53| Comment(9) | TrackBack(0) | 玄奘伝 | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

アグニ国の玄奘様

先日 ブログの目次を作っていて気付いたんですけど・・

いや~ すっかり忘れてましたよ、

玄奘さまの記事のこと・・

それも「高昌国」で止まってます。
唐の国から二カ国目です。
現代ではまだ 中国国内ですねえ。
TVドラマ「西遊記」が始まる前から 記事を書き初め、ドラマ終わっても まだ中国国内というのは我ながら情けないものがあります。(トホホ)


ということで・・・


今回は久々の玄奘伝 お暇な方は おさらい(玄奘伝 1 ,2 ,3 45)をどうぞ。

ダイジェスト:国法を破り、砂漠で死にかけ、国家間のパワーゲームに翻弄され、国王の誘いを振り切り、涙のお別れをしてきた玄奘様。
ここから旅はそれまでと大きく其の形を変えることとなります。

高昌国王からの贈り物を改めて確認してみますと・・

お供の少年僧4人、荷物運び人25人、西突厥までの道案内一人
・馬30頭
・法衣30着
・防寒の為の手袋や足袋 数個づつ
・往復二十年間の旅費として 金一万両、銀銭3万、絹500ぴき
・24の封書をつくり、一封書に大綾1ひきを贈り物としてつけた。
・綾絹500ぴきと果実ニ車と
「法師は私の弟です。私を哀れむように法師を哀れんでやってください。」という手紙を西突厥に献上。
・高昌国以西の国々に それぞれ駅伝馬でもって次の国まで贈るよう要請


となっております。

つまり これからは

・一人旅ではなく 大人数での旅となった

・それまでは 生きて旅をするための最小限の荷物だったのが 多くの珍しい品々を抱えることになった

・勝手気ままな個人的な旅だったのが 高昌国王の紹介状を携えての旅となった


というわけです。

これらのことは 今までしてきた 
「いつ野垂れ死ぬかもしれない緊張感」を考えると 今後の旅にとって かなりプラスとなったことをあらわしています。

「♪一人じゃないって 素敵なことね~♪」by天地まり

もう一人で さびしい思いをすることもありません。
しかし いうまでもなく 世の中良いことばかりではすみません。
今までとは違った新たな問題を抱えることとなってしまいます。

高昌国を出発された玄奘様一行は 次の目指を約900里ほど西の「アグニ国」とされました。
アグニ国までの途中、「銀山」というところを越えたところで事件は発生します。

なんと いきなり盗賊の集団と遭遇!!

なんとか命はとられずにすみましたが 持ち物の大半をブン捕られてしまいます。
「あ~あ!!もらったばっかなのに・・・ これがこの世の現実かああ・・」
玄奘様は頭では理解していたでしょうし、ある程度の覚悟もあったでしょうが あらためて「持てるものの苦しみ」を思い知らされたのでした。

まあ そんなこともありましたが・・

玄奘さま一行は なんとか かんとか アグニ国に到着することができました。
この国は インド系の文字を用い インド伝来のお経を読み、十余箇所の仏寺と二千人あまりの僧侶がいたとされていいます。

盗賊の集団に金目の物はあらかた捕られていましたが とっておきの高昌国王の書簡は無事でした。
玄奘様にとっては 「これさえあれば まあ何とかなる」通行手形、フリーパスチケットです。ドラえもんでも ここまで気の利いたものは出してはくれないでしょう。
出迎えてくれたアグニ国の人々に意気揚々と 書簡を渡す玄奘様でしたが 事態は思わぬ方向に転がります。

さっそく 玄奘様たちが 替えの馬を出迎えてくれた人たちに求めても 首を横に振り一向に取り合ってくれないではありませんか。

玄奘さま「ん??なんか 書簡見せてから ものすごく 空気悪くなってない? みんな<お呼びでないやつ>を 見るよな目で さっきから俺たちを見てるような気がしてならないんですけど・・・」
玄奘様はこの時 まだよくご存知ではなかったのです。

高昌国とアグニ国が犬猿の仲だということを・・・

実は 以前から アグニ国は何度も長安に使節を送り 唐と直接 通商したいと思っていましたが その都度 高昌国が「長安に用があるなら 我輩が代理をしてしんぜよう」と親切面をして妨害してきたのでした。
高昌国は唐とアグニ国が直接接触するの妨げ、間に割って入ることによって 利益を吸い上げていたのです。

Gennjou_daisekidou_2

ですからアグニ国としては 玄奘様が旅をしてきたルート

玉門間→伊吾国→高昌国→アグニ国

という当時の道ではなく その南にあたる

敦煌→楼蘭→アグニ国 

という旧道,「大磧道」を復活させたいと願っていたのです。

そんなアグニ国王ですので 高昌国王からの手紙なんかを見せられても
「はあ!? なめてんのか! 出迎えくらいはしてやるけど なんで 高昌国王と親しい坊主に親切にしてやんなきゃいけないんだ!」となって当然なわけです。

詳しい理由はよくわからなかったのですが どんどん悪くなっていく空気を肌で感じ取った玄奘様は この国の都城にたった一泊しただけで そうそうに西へ向かうこととなってしまいました。

世の中 なかなか うまくいかないものですねえ・・・つづく・・・

posted by 泣いた赤骨 at 02:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 玄奘伝 | 更新情報をチェックする
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