2006年11月19日

黒骨vsエセ霊能者

黒骨の知り合いに他宗派の坊さんがいるのですが・・

先日、後輩から

「黒骨さんは <霊と魂とか運命なんて言葉は 本来、仏教とは無縁な言葉だ!>なんて言い切ってるけど、うちの弟から聞いた話によると
○○寺のお坊さん 霊が見えて、除霊できるらしいですよ!」

という垂れ込みをうけました。

黒骨「○○寺の野郎!! お釈迦様に恥じかかせるようなこと言いやがって!!たたき切ってやる!!」

と酒が入っていたせいもあって 無性に腹のたった私は その場で携帯に電話し ○○寺(以下 <骨友>と表記します。)を 呼び出しました。

・・・・・数十分後・・・・

骨友「うい~ッス!後輩君久しぶり!彼女とはうまくいってるの?あっそうなんだ。
黒骨、それにしてもいきなり何の用だ?金なら貸さねえぞ!っていうか、こないだの一万円まだ返してもらってねえぞ!とりあえず返せよ!話はそれからだ!」

黒骨「・・・(げっ!!忘れてた・・)。
・・・・<大きく息を吸って>・・・・・・
ん~なこたー どうでもいいんだよ!!
(あえて逆ギレ気味に)
おい!骨友。てめえ、霊が見えるそうじゃねえか?」

骨友「なんだよ!いきなり!」

後輩「あわわ、黒骨さん、落ち着いて。」

あわてて 骨友に成り行きを説明する 後輩クン。

骨友「な~んだ、そのことか・・。まあ落ち着いて話を聞けよ。実はね・・・」

そういうと 骨友はこんな話をしてくれたんです・・・

毎年、夏になると 骨友のお寺の横にある墓地で 子ども会主催の肝試しが行われるそうです。子ども会ですから 下は幼稚園から 上は小学六年生 のお子さんたちが 二十人くらいやって来るとのこと。 
夜にお寺に集まると 本堂におまいりした後に 年長者とちっちゃい子が二人づつ お墓を一回りし、本堂に帰ってきて その後で みんなでスイカを食べたり、花火をしたりして ワイワイ盛り上がるそうなんですが・・。
時々、子供の中で
「霊が見えた!」
と騒ぐ子がいるそうです。

別に見えても、見えなくても どうでもいいことですが
誰かがそんなことをいうと 子供ってのは 連鎖して ギャーギャー騒ぎパニックを起こしてしまうようです。
便乗して「あ、俺も見えた!」「私も見えた」と何人かが言いはじめ、
小さな子供は震えて泣き崩れ、
馬鹿な子は「おれが退治してくる!」と勝手にお経本を持ち出して墓地に走り出し、こけて膝を擦りむいて二次災害。(お経本は砂まみれ)
障子を壊したり、調子に乗って本堂の電気を消す子供もいて それはそれは 面倒くさいことこの上無い上、次の日には近所の人からのクレームがあって大変だそうです。
もちろん、骨友と骨友のお父さんも坊主ですので 大きな声で
「みんな、大丈夫だよ!落ち着いて!」
と叫んではみたものの 興奮状態(バーサク状態)の子供は全く耳を貸してくれないそうで 
毎年「今年は何事もありませんように・・」と関係者一同 気をもんでいたようです。 
そんな中、いろいろ試行錯誤を経て 今年、骨友より編み出された裏技が

子供たちが騒ぎだした時に 袈裟を着て、数珠をかけ、神妙な面持ちで登場し、

「しーっ、静かにしなさい。霊の声が聞こえる・・」

「霊が<この中に 見えてないに 見えてるって うそをついて騒いでる子供がいる。>って怒ってる・・・」
という方法。

それまでギャーギャー騒いでいた子供たちが 水を打ったように シーンと静まり返るそうで、あまりの効果に骨友は笑いを堪えるのが大変だったようです。

骨友「・・・ってなわけよ!」

黒骨「でも・・そんなことしてたら 仏教が誤解されんじゃねえか?」

骨友「うるせえ!それどころじゃねえだろ!
だいたい、お前はパニックになった子どもたちが どんなんだか知らねえからそんなことが言えるんだよ!
おれにとっちゃあ よそ様の子供を怪我させないってのが 優先事項なんだよ!
文句があるなら お前はこれ以上にいい方法知ってんのか?言ってみろよ!」

黒骨「そういわれれば確かに・・でもなあ・・・」

骨友「まあ 引率の保護者には ネタばらししてるから いいじゃねえか。」

霊の概念って私たち日本人には 仏教なんかより身近で 根強いものなんですねえ。
それとお寺のイメージってのを あらためて思い知らされましたよ。

ということで いきまいて骨友を呼び出した黒骨ですが、完全に押さえ込まれてしましました。
こういう使い方はありなのかな?と思いつつも なんか複雑な気分です。

posted by 泣いた赤骨 at 05:05| Comment(7) | TrackBack(0) | 破戒僧vs | 更新情報をチェックする

2005年11月02日

破戒僧vs葬儀屋さん

これは多分 宗派関係無く 多くの僧侶の方が感じてらっしゃると思うのですが・・・

臨終のお勤めは何をおいても出来るだけはやく行きたいんですよ!
*臨終のお勤めとは いわゆる 「枕経」のことで亡くなってすぐのお勤めのことです。

なぜかと申しますと 喪主の方は最初に頼りにした人に依存しやすいからです。

つまり
1)大事な身内を失った方は 悲しみのあまり 周りの意見に流されやすい。
2)一方で 慌てて体裁を保とうとして 恥と勘違いして 坊主に質問することを極力さけようとする方もある。
3)臨終のお勤めによって 喪主にとっての その後の通夜、葬儀の方向性と言うものが決まってしまうから
ということであり
これらの人に坊主は仏教を知って欲しいんです。

そして この臨終の時 最も坊主とかち合うのが 
葬儀屋の方と 親戚から何でも知っていると思われている人
なんです。

特に葬儀屋さんは 「世間を知らない上に 気位が高い」坊さんに比べ 「お金はかかるものの その分信用できる」と考える喪主の方が多く 臨終の際は 坊主より先に 葬儀社に電話するという方が年々増えています。

坊主にとって 臨終とは 日頃
「宗教なんてくそ食らえ!」「死んだら人間終い!」「死んだら負け!」
と思ってらっしゃる方に ”命の無常”というものを最も伝えることのできるチャンスすなわち
仏教とは何なのか?
を問うことの出来る大切な場なのです。

先日 臨終の電話を受け 早速いってみると
坊主よりも先に まず葬儀屋さんに電話をされ その後にお寺に電話をされていたようでした。
もと商売人の黒骨としては葬儀屋さんの立場もよくわかります。
すなわち 葬儀屋さんは立場上 
正しい葬儀ではなく お客さんが満足する葬儀を提供することを第一とされます。
ここで問題となってくる 坊主と葬儀屋さんの主張の食い違い それは
土着の信仰、迷信と 仏教の主張です。
顕著な例は 
友引を避けるか否か、守りガタナ、死に装束、三途の川の渡し賃(六文銭)、仏壇を閉める
等です。

断っておきますが私は他宗教の方にこれらの是非を問うものではありません。
あくまで信仰とは個人の自由です。
仏教以外の信仰の方が仏教以外の形式において正しいとされることの意義に口を挟む気は無いんです。
私は ただ 仏教徒、とくにうちの宗派の方に対してのみ 仏教を伝えるものです。

<友引を避けるか否か、守りガタナ、死に装束、三途の川の渡し賃(六文銭)、仏壇を閉める等>
こんな仏教徒にとって どうでもいいこと 不要なことに重きを置かないで欲しいんです。

仏教徒にとって大事なこと、優先すべきことは
1)故人を偲ぶこと
2)仏教をとおして これから故人とどう関わっていくべきか?
3)私も何時死ぬかわからない身であることの再確認
です。

しかし、身内にとって臨終直後というのは それどころではない非常事態です。
こんなことを考える余裕はありません。

ですから このような方々をバックアップしていく人間の心構えが 
「臨終」、「通夜」、「葬儀」
に色濃く反映されます。

葬儀屋さんにもピンからキリまでありまして 会社からきちんとした宗教の教育をされたかたもあれば 再就職やなんかで 我流の宗教観(自分が経験し、それに重きを置く)を依頼者に押し付けるかたもいらっしゃいます。
年を食ってるわりに それが「迷信なのか どうか 自覚してない」葬儀屋さんはやっかいです。
依頼された方は その雰囲気にのまれて 全てを任せ信頼してしまいます。
「私のような年」+「野良犬」の坊主は
頭から「世間知らず」と決めつけられることが多いので 
あとで これらの葬儀屋さんが植え付けた 迷信や他宗教の習慣をひっぺがすのに結構な時間を食ってしまいます。

「迷信をはがす」のは坊主の仕事ですから 慣れてはいますけど・・

私の感じるこの虚しさや悲しさは一体何なんでしょう?

仏教というものを きちんと伝えてこなかった いままでの坊主のつけなんでしょうか?
これを 背負うことが 現代にいきる坊主の責任かもしれないな・・と黒骨は思っています。

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posted by 泣いた赤骨 at 06:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 破戒僧vs | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

黒骨vsハチ

暑い日が続いております!
って もう何回こんな「掴み」で記事を書き始めたかわかりませんが 皆様いかがお過ごしでしょうか?

八月に入り 黒骨は お盆勤めの真っ最中でございます。
午前中に一通り お参りをこなし 昼からは掃除をするのが私の役目なんですが 麦わら帽子かぶっててもくらくらしてきます。熱中症にはお互い気を気をつけたいものです。

夏は 抜いても抜いても生えてきますので 時間が許す限り 雑草を抜かねばなりません。
今日も草を抜いておりますと お寺の参道に無数の穴があいております。
以前から 地面に穴をあけられ むかついていたんですが 
この穴は かの有名なファーブルさんが「ファーブル昆虫記」で紹介している 「他の虫に麻酔を打ち 仮死状態にして巣に持ち帰り卵を産み付け 孵化した幼虫の餌にするという恐ろしいハチ」があけたものでございます。

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暑さも手伝ってか いつもなら許せる自然の営み(穴)のはずが 妙に尺にさわり思わず 穴の中に砂を流し込んでしまいました。
たいして気持ちも晴れませんでしたが 2.3箇所に砂を詰め終えると私は 再び 汗をぬぐいながら草を抜き始めました。

しばらくして・・・

・・・ブーーーン・・・・

とハチが飛んできて私のまわりを威嚇します。
「ったく うっとうしいなあー」
あまりにうるさいので 叩き落とそうと顔を上げると

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↑ クツワムシを抱えたハチでした。

あまりに威嚇するので「仕返しに来たのか?」と思い その場から少し離れてみました。

すると ハチは元巣の入り口だったところ付近へ飛んでいき 穴がふさがれているという異変に気付くと
まるで
「あ! 穴がふさがってる!」
といった様子で 大事なクツワムシを 脇に置いておいて 必死になって 穴から砂を掘り出しはじめました。

そんな姿を覗きながら「必死だな!」と意地悪くにやついていた私ですが よく見てみると ハチが穴を掘ってる姿って

意外とかわいいんですよ!

虫は気持ち悪くて ウザイとしか日頃思わないんですが 
この時 穴掘ってる仕草は 直立レッサーパンダや皇帝ペンギンを凌駕していました
若者言葉で言うなら 「ハチ萌え」って言うんですかねえ?
(残念ながら 穴掘ってるところは写真に収められませんでした・・)

思わず「子育てたいへんですねえ。」と言いそうになりました。

話の腰をへし折りいますが・・・
以前書きましたが仏教で慈悲を表す言葉に「大悲」「中悲」「小悲」というのがあります。

「小悲」とは、私達の慈悲の心であり、自分に近い人、縁のある人を哀れんだり、応援したり、助けようとする心です。

「中悲」とは、賢い人、世間でいう善い人、立派な人、みんなから「仏様のような」人と呼ばれている人の公平な慈悲の心であり、より正しい方、よりかわいそうな人を応援したり、助けようとする心です。

「大悲」とは、如来(仏様)の慈悲の心であり、分け隔てなく、全ての者を救う慈悲です。争うもの双方を救う慈悲の働きです。

擬人化することや 私がかわいいと思うことなど 何の意味もありませんし わかっているんですが それでも自分の都合や気分で擬人化してしまう・・この辺が人間の悲しい性ですねえ。

やっぱ破戒僧・・・


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ps:クツワムシすまん・・
posted by 泣いた赤骨 at 01:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 破戒僧vs | 更新情報をチェックする
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