2011年01月31日

正月の思い出

いちどのちかひが一期のちかひなり、一度のたしなみが一期のたしなみなり その故はそのまま命をはれば一期のちかひになるによりてなり」 
(連如上人聞書より)

適当な意訳:
一度の勘違いが一生の勘違いになることがある。どういうことかというと 一度勘違いをし、そのまま死んでしまったとしたら 一生の勘違いになるだろ!」

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忘れられたみかんは しぼむか腐り切り、もちは埃まみれな今日この頃、遅くなりましたが

 皆様新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

挨拶もそこそこに早速 

話の腰をへし折りますが・・・・・

皆様はお正月にどんな思い出をおもちでしょうか?

あ!!わかった。
「オモチのどに詰めて大変だった!」てんでしょう?

・・・・・・・・・・・・・・・おもちだけに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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そんな整わない話はさておき・・

黒骨にはお正月になると思い出す事があります。

それは・・・
師匠の所で迎えたはじめての正月と とある芸人さんの事でございます。

まだ 坊主になって間もない頃、
元旦に修正会法要(神社みたいにお寺でも新年の行事があるんです)がありました。
お参りになってたご門徒が20人弱くらいだったので 法要の最後に輪になって座り お茶を頂きながら 一人づつ今年の抱負をいうことになったんです。
まずは師匠がご挨拶と抱負、次に脇にいた私の番となりました。
特に事前に何も言われてなかったので 何の気なしに 極当たり障りのない挨拶 つまり
「新年明けましておめとうございます。昨年はお世話になりました。今年も宜しくお願いします。」程度の挨拶と抱負を言ったんですよ。

そしたらね・・・・・・・・・

後でそれはもう メチャクチャ師匠に怒られました。

師匠いつも言ってんだろ!黒骨!!袈裟つけてるときは 僧侶として話をしろって!!」

黒骨「はい???(別にちゃんとした挨拶したのに 正月そうそう何怒ってんだ??)」

あたしが不満を隠しつつ、ポカーンとした顔でアピールしておりますと

師匠「まだ分かんねえのか!!あきれてものが言えん!!
蓮如上人の「いちどのちかひが一期のちかひなり・・」
って言葉知ってんだろ!
もし、今日お参りくださった方のうち誰かが 帰りに事故かなんかで死んでしまったとしたら 
その人にとっては 人生最後の法話がお前の今の挨拶になるだろ!

あんなのが人生最後の法話だったとしてお前ならどう思う?

それに、あんなのご門徒に聞かせて 
それでお前は坊主として恥ずかしくないのか?

坊主なら 世間並みの挨拶なんてしてんじゃねえ!!」
といわれました。

師匠には常日頃から

「袈裟つけてる時は 坊主とし話をし、振舞え!」

ってのは言われてたんですけど その理由を聞いたのはこのときがはじめてでした。
その当時 師匠のことは尊敬すると同時に 口やかましいと辟易していたあたしは

ああああああ・・・そうか・・・なんで全く気付かなかったんだろ・・おれってみっともない・・

と師匠に申し訳なくそして、自分が恥ずかしくてたまりませんでした。

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それから 数年後、酒の席で やる気の無い坊さんが死ぬほど 嫌いなあたしは よせばいいのに 酒の席で まともに相手をしてしまい もめに もめすぎて 
それを期に 周りの敵を一気に増やしてしまいました。
はじめのうちは大丈夫だったんですけど、そのうちに、今まで、自分のやってきたことが無駄に思えてきて 心が折れそうになってた時、インターネットでこんな言葉にであったんです。

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Ega02

江頭 2:50(えがしら にじごじゅっぷん、

本名:江頭 秀晴(えがしら ひではる)

これをやったら次回でられなくなるんじゃないかなんて
考えないようにしている。

人間いつ死ぬかわからないから、
その時のすべてを出しきりたいんだ。

おれはいつ死ぬかわからないし、
見ている人もいつ死ぬかわからない、

視聴者が最後に見た江頭が、
手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?

これってなんか 師匠の言葉にそっくりでしょう?
そんでもって 蓮如さまのあのお言葉ともだぶっているようなきがしたあたしは その時、パソコンの前で少し泣いてしまいました。
江頭さんの言葉を通して 久々に師匠に声をかけてもらったような気がして すごく心強く嬉しかったんです。

それからというもの いまだに周りから色々言われたり それなりに傷つくことはありますが 心が折れるようなことはなくなったような気がしてます。
 
そんなわけで・・・

黒骨はお正月が来るたびに 師匠と江頭さんを思い出し 
思い出すと同時に今年も頑張ろうという気持ちになるんです。

今年もきっと 年下相手に<ガッペ>ムカツクような大変なことや 

格上相手に<物申す>

ことが多い いつもの一年になるんでしょうけど お互い 今を積み重ねて行きましょうね。

posted by 泣いた赤骨 at 07:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 身近な仏教 | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

形あるものを通して 形の無いものに触れる

法事が終わって お茶を頂いておりますと 比較的若い方から 時々 こんな質問をされます。

Aさん「黒骨さんには悪いけど 仏像って木じゃん、木を拝んだり奉ったりするのって なんか無意味な気がして 馬鹿らしくなるんだよね。」

それとは逆に お年寄りから

Bさん「こないだ はたきに 仏像ひっかけて 仏壇から落としちゃったのよ!そんでさあ ポキって 阿弥陀様の頭と 台座と 後光の部品が折れちゃったんだけど 仏罰とか大丈夫なのかねえ?」

Aさんは 「木で作られた仏像は所詮木なんだから 無意味だ」 という意見

Bさんは 「木で出来た仏像を仏様そのものだ」という意見なわけです。

同じ日本の仏教でも宗派によって ご本尊に対する考え方は結構違うようですね。
うまく説明するのが厄介なことですが これは非常に大切なことなので なおざりにはできません。だけど やっぱり難スイ~・・・。

皆さんは Aさん派 それとも Bさん派 それとも・・・

こんばんわ!久々に記事書こうかとおもって ブログ作成ページを開けようとしたら 認証パスワードが消えてて かなり焦った黒骨です。

そんなことはさておき・・・

終戦の<玉音放送>ってのがありますねえ

あたしは結構なおっさんですが 陛下の「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」というお言葉をリアルタイムで聴いた世代の人間ではないので 玉音放送は 終戦記念日関連のテレビなんかで 見たことがあります。
あの当時の方は 陛下のお言葉を聴きながら ラジオに向かって ある人は 直立して拝聴し、またある人は 地面に手をついて方を震わせていらっしゃいますね。

ここからは <If>の話 もしも、の話ですが、

もし、そんな当時の日本人を見て 外国の方が

「日本人は 電話してる時に相手に頭を下げることで有名だが、昔の日本人は ラジオに向かって 土下座してる(笑)」

なんて言ったとしたら 皆さんなんて説明します。

そんな時は「昔の日本人もラジオが天皇陛下ではないことぐらい知っていましたよ。ラジオに頭を下げているわけじゃないんです。ラジオを通して 天皇陛下ご本人に頭を下げていたんです。それに電話で頭を下げている今の日本人も 電話している相手に見せるために頭をさげているわけではありません。たとえ見えなくても、言葉では表しきれない 謝罪や感謝の心を体に現しているのです。相手に対する礼儀の一つの形です。」

みたいな事をいうんじゃないでしょうか?

浦島太郎の歌に「♪助けた亀に連れられて、竜宮城に行ってみれば 絵にもかけない美しさ♪」って歌詞がありますが <浦島たろう>の絵本には 竜宮城の場面が絵に描いてあります。

本来<絵にもかけない美しさ>ですから 絵に描いてしまったら <絵にもかけない美しさ>では ありません。ですから 厳密に言えば そこに描いてあるのは 竜宮城ではありません。

それでは何故 「絵に描いてあるのか?」ということになりますが・・

それは言うまでもありません。 <絵にもかけない>からといって そのページが真っ白だったら 子供たちの多くが 「なんだ 竜宮城って何もないんだ。」と勘違いしてしまうからです。

作者は<絵にもかける>美しさを通して、「竜宮城は この絵よりも もっともっと 美しいんだよ」と子供たちに 語っているのではないでしょうか?

これは仏像に関しても同じことが言えると思います。

あたしらは 端から見たら、木像や絵像に手を合わしてるように見えるかもしれませんが、木像が木であり、絵像が絵なことくらい 馬鹿な坊主でも知っているわけです。
あたしたちは木像に手を合わしてるわけじゃなくて、木像や絵像という形あるものをとおして、形のない仏様に手を合わしているわけです。ですから、佛教は単なる偶像崇拝ではないんです。

それは

文字を知らない人が 本を読んで泣いている人を見て

「あの人 紙の上のインク見て泣いてるよ(笑)」と馬鹿にしたり

dvdとテレビを知らない人が エロdvd鑑賞してる人見て

「あの人 液晶を見ながら 欲情してるよ(笑)」と馬鹿にしているようなものです。

形だけを見れば たしかに<紙の上のインク>を見て泣いている といえます。

形だけを見れば たしかに<液晶>を見ながら 欲情している といえます。

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・・・・・・・・確かにそう言えなくはないけど・・・・・・

・・・・・・ある意味正解かもしれないけど・・

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でも やっぱり、そうじゃないでしょ!(笑) 

ps:今日はうちの御開山 親鸞聖人のお誕生日です。お釈迦様の誕生日の次くらいに覚えといてくださいね。

posted by 泣いた赤骨 at 04:08| Comment(3) | TrackBack(0) | 身近な仏教 | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

明日はお釈迦様の誕生日ですね

この記事を見た方は 知り合いに

「ミサイル問題はさておき・・そういえば 明日って お釈迦様の誕生日だよね。」

といいましょう。

ps:ノルマは各自できめてください。

posted by 泣いた赤骨 at 03:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 身近な仏教 | 更新情報をチェックする