2014年04月08日

今日はお釈迦様の誕生日

今日はお釈迦様の誕生日です。ケンタッキーもSMAPもドラえもんもショッピングセンターも黙殺。
前途多難です。
posted by 泣いた赤骨 at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 | 更新情報をチェックする

2008年03月01日

「本堂でウインドミル」と「世も末な話」

ドスン!

久々にやってみたけど やっぱり以前出来なかったことが しばらくしていきなり出来るようになるわけはありません。

こんばんわ!前回の記事を書いて二日後に 朝目新聞に載せていただき 一日に5000ヒット(ご存知!うちはふつう平均200ヒット以下のマイナーブログなんです)を越え、なんだか怖くなって訳もなく「ブログ辞めようか」と思ったチキンでシャイな黒骨です。

そんな告白はさておき・・・

お寺に入ったばかりの頃、テレビ見てたら 憧れ、どうしてもやりたくなって 本堂でウインドミルの練習をしていた頃がありました。

Photo

みんなの隙をついて 一週間近く インターネットで見つけたハウツー記事をプリントアウトして参考にしながら 練習を繰り返したのですが 何度やっても全くコツがつかめず、

「実際ウインドミルが出来る人に教えてもらいたい・・」

と心から思ったものです。

話の腰をへし折ますが・・・・

佛教の時代観として<末法思想>ってのがあります。

末法思想ってのは お釈迦様の滅後 

まづ正法(しょうぼう)の時代が500年、その後

像法(ぞうぼう)の時代が1000年、そして

末法(まっぽう)の時代が一万年続くとされています。

正法の時代とは 仏の教えがあり、その教えが実践され、悟りを得る人が現存している時代のことです。

像法の時代とは 仏の教えがあり、その教えが実践されるが、悟りを得る人がいなくなった時代のことです。

そして末法の時代とは  劫濁(時代が濁り)、見濁(思想が濁り)、煩悩濁(惑いの濁り)、人間の濁り(衆生濁)、命濁(生活の濁り)の五濁の悪世となり、佛教を実践する人がいなくなり、結果仏法も滅ぶとされる時代です。

この末法思想はインドにはなく どうやら中国で考え出された終末観らしく、それに引きずられて日本にも持ち込まれたものです。

多くの日本のお坊さんもこの説の影響を受けました。
この説の影響を受け、末法の世にふさわしい佛教は?

という問いに誰もが悩んでいたわけです。
(法然さま、親鸞様、日蓮さまなどなど)

当時、日本のメジャーどころで この末法思想に対し、
「そんなの関係ねえ!」と 小島よしお よろしく はねつけたのは 道元さまぐらいのもんです。あたしも時代によってそんなに 人間の質が変わるとは 思えないので 浄土教系の坊主ですけど 禅宗の道元さまはカッコイイなあ~ と思ったものです。

そのことに今も変わりはありませんが・・・

ウインドミルの練習を本堂でやってて思うわけです。

「もし実際にウインドミルの出来る人がそばにいてくれたら きっと 今より上達が早いに違いない!」と・・・

もしかしたら 末法思想ってのも そんな感じかもしれませんねえ。

実際悟った人の方が 悟っていない人より より多くの人を悟りに導くことができるであろうことは容易に想像できます。そういう意味で考えると 末法思想ってのも あながち 馬鹿に出来ないような気がしますねえ。

ps:当時 ウインドミルの練習を 住職や兄弟子には 見つかりませんでしたが たまたま お参りに来てくださったおばあちゃんに見つかってしまい。
「新しくおてらに入った黒骨という坊さんが本堂で逆立ちの練習をしていた。」という噂を流されてしまいました。

posted by 泣いた赤骨 at 00:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 仏教 | 更新情報をチェックする

2008年01月30日

「ほとけ」いう言い方について

けっこう前のことになりますが

「ビッチ(スペル忘れました)」ってロゴの入ったTシャツやなんかが 女子中高生に流行ったことがありましたねえ。覚えてます?

いくらファッションでもこれはねえだろ!

ということで 流行は急速に終息しましたが 

この服を着ていた子たちの多くはロゴの意味を知らずに着ていたようですねえ。

知らないってのは 恥ずかしいことですし、恐ろしいことですねえ・・

こんばんは そんな偉そうな前フリをしつつ 自分は冬の寒い時期、「ただ暖かい」という理由で 「NIKE (ナイキ)」の パクリブランド 「Kiki」(キキ??って読むの?)を愛用しております黒骨です。

そんなことはさておき・・・・ 

うちの宗派には和賛(わさん)ってのがあります。
日本語(和歌)で佛教を讃えたもののことです。

キャラが三国志の曹操の息子と少しかぶってますが・・・

うちの宗派の御開山親鸞聖人って方は かなりの詩人な方で自分の気持ちをうたにして色々と書き残していらっしゃるんです。

だいたいは「佛教ってのは 素晴らしいねえ!!」って内容なんですが 時に こんなことを書いたりしています。

①善光寺の如来の われらをあはれみ ましまして

難波のうらにきたります。 御名をも 知らぬ守屋にて

②その時ほとをりけ と申しける 疫れい あるひは この故と

守屋が類(たぐい)は みなともに ほとをけぞと申しける

③やすくすすめんためにとて 「ほとけ」と守屋が申す故

時の外道みなともに 如来を「ほとけ」とさだめたり

④この世の仏法の人はみな 守屋が言葉をもととして

「ほとけ」と申すたのみにて 僧ぞ法師はいやしめり

⑤弓削の守屋の大連 邪険極まりなき故に

よろずのものを すすめんと やすく 「ほとけ」ともうしけり。

↑何をおっしゃってるのかと申しますと・・・

多くの人が 「如来」のことを 「ほとけ」と呼んでいるが 仏教徒にとって それは

非常に悔しいことであり むかつく!

と おっしゃてるわけです。解説しますと・・

538年、佛教公伝のころ、当時佛教を信ずるべきか否かで 祟仏派の蘇我稲目(そがのいなめ)と 廃仏派の物部守屋(もののべのもりや)に別れ 激しい争いがおこりました。

そんな中、日本国内に疫病が流行って 多くの人が死ぬという事件が起こりました。
廃仏者の物部守屋は その原因を 仏像をまつったので 日本の神様が怒ったからだ!と思い 善光寺の如来に触ったところ 大変熱かったので 「ほとをりけ」がある つまり「熱病がある」と言い、 そこから 如来をそしって 「ほとをりけ」と悪い名前をつけてよんだのです。

*「熱を出す・ほてる」の動詞が「ほとをる」 
「ほとをる」に名詞の「け」(←<寒気>、とか、<マゾッ気>とかの 「け」 です)を付けたのが 「ほとをりけ」です。
意味は 「火のような熱を出す心地」から 「熱病」のことを指します。

この言葉は長いので縮めて「ほとけ」と呼んだとされています。
その後 この言葉が浸透し、佛教を悪く思っていない人までも 「仏(ぶつ)」のことを「ほとけ」と言うようになり、これはやがて 僧侶や法師までもいやしめる悪習へと発展していったそうです。

いやあ あたしは 坊主なんですけど 知りませんでしたねえ・・・
「ほとけ」って言葉にそんな 歴史があったなんて・・・

 明日から「ほとけさま」って言葉 なんだか言いづらくなってきました。

まあ・・読み方にこだわる必要も無いんですけどねえ(笑)

posted by 泣いた赤骨 at 04:17| Comment(40) | TrackBack(1) | 仏教 | 更新情報をチェックする