2008年01月09日

「真実」ってのは はんぱねえ~

<悟りの道において、人はおのれの目をもって 仏を見、心をもって仏を信ずる。
それと同じく、人をして 生死の巷(ちまた)に今日まで 流転させたのも また この 眼と心である。>

いわしの頭も信心・・・ってことで信仰というものを理解されようとされる方が結構多いですが、そんな風に考える方は 多分

「仏」=「真実」 or「悟り」=「真実と一つになること」、「真実を得ること」

ということを知る機会に恵まれなかった方だと思うんです。

ガリレオさんは「地球は廻る」と言ったそうですね。

それに対抗する人々は「そんなことはない!」といったそうです。

その両方を眺めて 「考えは人それぞれだ!」
と言うのは そもそも「真実」という言葉そのものを見失ってると思いませんか?

ただ 忘れてはならないのは
真実を必死に求めながらも「地球は廻ってない」という結論に達した方も 「真実」という言葉すら見失った人をも乗せて 地球は太陽の周りを廻っていたわけです。

あたしが言うまでもありませんが・・・

この反吐が出そうな世界、苦しくて、悲しいことがあふれてる世界に生きる私たちに 「気休め」や「思い込み」や「嘘」はそれほど必要ないでしょう?

そんな訳で、お釈迦様から「真実」の一端を教えてもらった坊主は必死なわけですよ。(笑)

posted by 泣いた赤骨 at 01:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 仏教 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
仏の真実、を説く時に、物理学的な真実を例に出すのは、ちょっとどうかな、と思います。
物理学的な真実のように、仏の真実について、確たる証拠を見せてくれ、と詰め寄られたら、どう回答するのでしょう。
私がまさに、その確たる証拠を求めてやまない凡夫でした。そしてそこに納得できる確証は得られませんでした。
そんなときに、法然の一枚起請文の存在を知って、そこで初めて納得できました。
Posted by たかはし at 2008年01月09日 09:19
たかはしさま コメントありがとうございます。

今回の文章は 佛教というものを 単なるポジティブシンキングと考えたり、気休めだと 誤解している方に向けて書いた記事です。

<物理学的な真実のように、仏の真実について、確たる証拠を見せてくれ、と詰め寄られたら、どう回答するのでしょう。>
そのような問いに対する一つの答え方がうちの宗派では「法話」であり、その問いに答えていくことが 坊主の日常であり、役目なわけです。
正直なところ 納得してもらえないことも多いですが、いつか 相手にジャストフィットする法話を見抜き 納得してもらえる話をしていけるように 日々励んでおります。
Posted by 黒骨 at 2008年01月19日 18:33
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