2007年03月02日

「はからい」では見えないもの

ここんとこ ご無沙汰でございます。
皆様、お元気でしたか?
黒骨は 毎朝、鼻が詰まってました。息苦しい日々を送っていたんです。

そんな近況報告はさておき・・・

日本人のあたしが 漢字ばかりのお経を訳も分からず 声に出して読むことに何の意味があるのか?

坊主になってから 色々と思い悩み、その都度 手前勝手な答えを探して それなりの納得をしてきたのですが・・・ 何かねえ・・・ しっくりこなかったんですよ・・・

そんなことを酒の席で 愚痴っておりますと・・・

知り合いの知り合いの お寺さんから

「うるせえなあ!グダグダ言ってねえで しばらくうちの朝のお勤めに付き合え!
てめえに お浄土見せてやるよ!」
と絡まれてしまいました。

ということで・・次の日から そこの「おあさじ」への参加を余儀なくされてしまったのです。

まだ寒いうちから 鼻水垂らしながら、いろいろと内陣の荘厳をお手伝いし、その後、お勤めが始まったんですけど・・・正直・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・

・・・

びっくりしましたよ!!

そこのお坊さんたちの声明(おつとめの声)は まさに 破戒僧にすら「お浄土」を思い起こさせる調べ、 澄み切った声なんですよ。それでいてメロディアス!

黒骨は なんか坊主のお経の声と言えば、
銭湯でおっさんが
「たびイイ~ゆけば~♪」っていう感じの
しわがれた声ってのが 当たり前って思ってたんですよ。
(織田無道さんの声とかそんなんでしょう。)
「本物を知らなかったんだな~」と思い知らされました。

今回、うちの宗派の声明はきっと「お浄土のしらべ」という意味、聞いた人に「お浄土」を連想させる という意味が含まれていたんだなあと実感しましたよ。

早朝の薄暗い中、綺麗に掃除された本堂の内陣だけがほんのりと光を放ち、美しい音が響き渡る。こういう演出によって 理屈を越えて 人々に仏国土への憧れ、ひいては 悟りへの憧れを呼び起こすってのも 伝道の一つの形かもしれませんね。

あたしは今まで、ご法事やお通夜なんかの読経はマッハでこなし、ご法話の時間を長く取るというスタイルでした。そのことを このお寺さんに話すと

「飾りでお勤めしてたんだな・・。
もしそう思ってたなら・・・
何故 お勤めせずに 法話をしなかったんだ?
いい加減な気持ちでお勤めするくらいなら 
しないほうがいいんじゃねえか?

半端もんが中途半端なことしてんじゃねえぞ!
いいかい、黒骨?
お勤めを法話と同じくらい大切にしなさい!
おまけではないのだから・・それに・・
理屈だけで仏法が伝わるなら、
俺やお前みたいな人間は
真っ先に坊主失格じゃねえのか?(笑)

座敷犬の言葉と違って、サラブレット坊主の一言ってヤツは 正直、野良犬坊主には相当こたえるものです。何も言い返せませんでしたよ。
図星だからです・・・

確かに 理屈で人の心が救えるのなら、平井堅さんや山崎まさよしさん、エリククラプトンさんみたいなアーティストのCDより 瀬戸内寂静さんやダライラマ、ローマ法王、みのもんたさん のお説教CDの方が売れてるはずですよ。そこには理屈を越えたものがあるからということは想像に難くありません。

・・・ということで・・・

いままでお勤め(読経)をなおざりにしてきた あたしは 毎朝 このお寺さんのお勤めに参加し、指導していただくこととあいなりました。
生活のリズムが激変したために しばらくブログの更新が滞りますが 御了承くださいませ。 

posted by 泣いた赤骨 at 03:04| Comment(12) | TrackBack(1) | 仏教 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 管理人様

最近、知り合いの真宗の方からメールにて、「我が宗派には『声明派』『教学派』『社会派』という三系統がいて、それぞれが別々なことをしている」というようなお話をいただきました。

我が曹洞宗でも、「法式派」「宗学派(眼蔵家)」「活動派」という三系統がいて、あまり横のつながりがありません。拙僧などは、まぎれもなく「宗学派」なんですが、今度ご縁で、「法式派」の方に傾倒しそうです。

なお、管理人様、声の出し過ぎで、「カラオケポリープ」になることだけは、お気をつけくださいませ。声明でも挙経でも起きる坊さんの職業病ですけれども・・・
Posted by tenjin95 at 2007年03月02日 10:59
いいお話を、ありがとうございます。
僕もどちらかと言えば黒骨さんと同じように考えていたクチで。
もちろん、お勤め自体上手になりたいと言う気持ちが無いわけでもなく、拍、音程、声量、注意してはいたのですが。慣れてきて意識が薄くなっていたかもしれません。
自分の姿ってのはなかなか見えないもんですね。
Posted by ほーすい at 2007年03月02日 14:42
鼻づまり・・・?
風邪でしょうか花粉症でしょうか、どちらにせよお大事になさってください。

理屈で割り切れないことの不思議さ、

理屈ではわからないけど、なんとなく心が感じてGoサインを出すこと。

最近そんなことに思いをはせながら、「なんでだろう」と理屈で考え、やっぱり理屈で答えをひねり出そうとしている自分に気づきました。

澄み切った声のお経・・・。ウィーン少年合唱団のお経編みたいな感じなんでしょうか?
Posted by 観之助 at 2007年03月02日 16:01
おひさしぶりです。
私もそれを聞いてみたいです。
キリスト教の宗教曲に比べて、仏教といったら・・。
浄土教のことをちょっと知る機会があったのですが、そこでは、信心を持つ、ということさえ、自力ではなくて、阿弥陀様から頂くことで初めて可能となるもので、そのためには、真摯にそれを願う姿勢が求められるようですね。
気軽に寄りかかる、苦しいときの神頼み、というのではなくて、自力で悟りを目指すのと同様の真剣さで他力救済を願う、という態度が求められる。
それだけに、お勤めに力が入るのだろうなと思いました。それは阿弥陀様から信心を頂けるかどうかがかかった真剣勝負なんでしょうね。そしてそのためには演出も必要ということでしょうか。
とはいえ、私は今のところ他力には共感できないのですけどね。
Posted by たかはし at 2007年03月02日 20:18
最近スリランカの僧の説法をネットで聞いています。流暢な日本語です。
その人たちの使っている経典は、釈尊が使っていた言語そのもので書かれてある、とその人たちは思っているようです。(学界の通説では、釈尊の時代の言語に近いけれども、ちょっと違うという見解のようですけど。)
それがスリランカに伝わったときには、もちろんスリランカにも独自の言語がありましたが、それに翻訳することなく、現在もそれを使っているようです。
釈尊の使っていた言語だから、釈尊の言葉だからという思い入れがあるのでしょうね。
インドの別の地方では、それをその地方の言語に翻訳して使っていた宗派もあったようだが、それは滅んでしまって現代には伝わっていないとか。
それがインドの公用語であるサンスクリット語に訳されて、それを更に中国で漢訳されたのが、日本に伝わった経典なんですよね。
そして日本はそれは日本語に訳すことなく使っている。
釈尊の言葉により近いから、という思い入れのようなものがあるから訳さないのか、それとも何かありがたみのようなものが薄れると考えたのか、どちらも心情的には分かる気がします。
読経のときは漢訳のままでもいいから、その解説をちゃんとしてくれればいいかな、なんて最近は思うようになりました。
Posted by たかはし at 2007年03月02日 20:46
黒骨さんの、”サラブレッド坊主”の名付自体も、パンチが効いてますよ!
Posted by Lily at 2007年03月03日 16:17
白骨は、人を掃除した。
Posted by BlogPetの白骨 at 2007年03月04日 11:28
昔、上司に市民オーケストラでフルートを吹いてた事がある人がいました。

この人と音楽談義をしてた時、

上司「音楽ちゅうもんは、どんな音楽でも聞いた時に、ありがた~くなって、神仏を思わせるような音楽でないとホンマもんじゃねえんじゃないの?」

この人は、σ(*_*)が尺八を携えて遍路をしているのを知ってます。

σ(*_*)「σ(*_*)の尺八を聞いて、ありがくなりまっか?」

上司「失礼ながら、全然ならん。(^O^)ナハハハ・・・」

σ(*_*)もこの上司の言う「音楽に神仏を感じなければダメ」と言う事は、もっもだと思い始めてます。

なお、上司は信心はさっぱり無い人です。

残念ながら今まで声明を聞いて、ありがたいと感じた事は・・・まだ無いなぁ。

日本の邦楽・民謡も、元は声明が原点だと聞いてます。
Posted by at 2007年03月05日 14:25
黒骨さん、お久しぶりです。
私も是非、その声明を聞いてみたいです!
近所でやってるのかな?
まずは「ググれ」ですね。
Posted by 水玉がえる at 2007年03月06日 19:55
白骨は、人を掃除した。

・・・・白骨ちゃんがいつにもまして恐ろしいことを言ってる・・・!!ww
Posted by 観之助 at 2007年03月16日 00:50
tenjin95さま 返事おくれてすみません。

最近、知り合いの真宗の方からメールにて、「我が宗派には『声明派』『教学派』『社会派』という三系統がいて、それぞれが別々なことをしている」というようなお話をいただきました。>

雲の上の方々はそうなのかもしれません。
あたしたちみたいな ショッカークラスの下っ端には そんな区分はないんですけどね。

カラオケポリープですか・・・気をつけます。
歌が下手なあたしが そんなのになっては シャレになりません(笑)


ほーすい さま 返事遅れてすみません。

お勤め自体上手になりたいと言う気持ちが無いわけでもなく、拍、音程、声量、注意してはいたのですが。慣れてきて意識が薄くなっていたかもしれません。>自分の声を録音し、上手な人と一緒に聞いたんですけど 相当へこみました(泣)
自分の声って わかってないものですね。


観之助 さま 返事おくれてすみません。

澄み切った声のお経・・・。ウィーン少年合唱団のお経編みたいな感じなんでしょうか?>そんな感じです。

白骨は、人を掃除した。>うちのブログの番うさぎですので ガラが悪くなってしまいました。(笑)


たかはし様 返事遅れてすみません。

「他力」という言葉は非常に誤解を招き易いですし、他宗派の方から批判される言葉です。
ですが 「他力」とは 言い方の違う「無我」ということも 覚えといてくださいね。


Lily さま 返事遅れてすみません。

あたしは 血統書がついておりませんので、
尊敬と軽蔑の意味をこめて 
お寺生まれの方で 無能な方を 「座敷犬」と呼び、 
あたしから見て「敵わないなあ」と思う方のことを「サラブレット」又は、「サイヤ人」という呼び方をしています。

このブログ内では通じますが 一般には通じませんので ご注意ください(笑)


草さま 返事遅れてすみません。

残念ながら今まで声明を聞いて、ありがたいと感じた事は・・・まだ無いなぁ。>
あたしも このたび初めてききました。
しかし、数は多くないかもしれませんが そんな僧侶の方は存在します。
会えるといいですね。


水玉がえるさま 返事遅れてすみません。

残念ですがこればっかりは ググっても 見つからないのではないかとおもいます。
今度 機会があれば あたしが盗聴しますので・・気長にお待ちください。(笑)
Posted by 黒骨 at 2007年03月18日 01:50
他力が「無我」ということについて、最近そう考えさせられる機会がありました。
真剣な、全身全霊を傾けた他力というのは、それは無我と同じなのでしょうね。
そこで、無我を達成するために、阿弥陀様という存在が必要だったのではないか、という思いが生じました。
Posted by たかはし at 2007年03月18日 07:04
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